清浄山 禪興寺

和尚随筆

2022.05/09

和尚随筆

「花園」令和四年四月号原稿 表題「悲しみを乗り越える」

表題「悲しみを乗り越える」
 台番3248 禪興寺 梅澤徹玄

 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心は
のどけからまし」
*注1(もし世の中に桜さえ無ければ、咲いた、散ったと心を悩ますこともなく のんびりとおおらかなこころもちで春を過ごせるものを)

東日本大震災から十一年目の春を迎えました。当時罹災最初の冬に、「仮設住宅では暖房設備が間に合わず、多くの被災者の方々が寒さを耐え忍んでいる」との報道を、福岡県八女茶の栽培農家の方々が目にしました。「せめて自分達の栽培したお茶を一服して、ほっと一息ついてもらいたい」と心から思ったそうです。それから七年間に亘り、無償で丹精籠めた煎茶を、復興支援物資として大量に送って下さいました。津波被害に遭われた沿岸部の方々に、妙心寺派の寺院を経由してお届けし、大変喜ばれました。ところが大震災翌年には、九州北部集中豪雨により、風光明媚な先祖伝来の八女茶畑が土砂崩れにより大変な被害を受けました。にも関わらず、その直後のお盆に届いた大量の煎茶の段ボール箱に思わず目を疑いました。その後、八女の被災地を現地で目の当たりにし、感謝に胸が熱くなりました。何という人々だ、と。
その後、せめてもの御礼にと、福島県三春の「滝桜」の実生(みしょう)の苗木を送らせて頂きました。天下に名高い、樹齢千年とも七百年とも伝わる生命力にあやかり、一刻も早い復興の象徴にしたいと、当時全国各地に送られていたのです。
実はこのご縁は、一昨年遷化された元妙心寺派管長猊下、久留米の梅林寺先住職雪香室東海大光老大師が発端となっています。師は長崎の原爆投下時、勤労動員で原爆直下に奇跡的に一命を得て、その後一週間程亡くなられた方々のご遺体を荷台に積んでは荼毘に付し弔われたとの逸話を持つ方です。その後修行を積み老師となられ、妙心寺派管長を歴任し、退任後も矍鑠とされておりました。師にこそ、東日本大震災被災地の私達に、ぜひ講演会でエールを送って頂きたい、と向かった先の九州で、八女と繋がったご縁でした。師は仙台での講演に先立ち、何十年か振りに自ら長崎の原爆爆心地を再訪し、宮城沿岸の津波被災地を訪ね、冥福を祈り、講演に臨まれました。「この世は諸行無常である。どんな災難もいつまでも続かない。必ず困難は乗り越えられる。明るい未来はやって来る!」と力強く喝破(かっぱ)されました。
後に師の後継者である梅林僧堂師家悠江軒東海大玄老大師より、梅林僧堂では震災後一年間の托鉢金を使わず、復興支援に託されたと伺いました。この師にして、この弟子あり。「おかげさま」の一言です。
大震災の年、宮城県の我が寺にも滝桜の実生を植えました。あれから十年。その後温暖化による気候変動の為か、毎年の様に全国・世界各地で激甚災害が続発しています。新たな被災者も後を絶ちません。けれどすっかり成長した滝桜の成木が日本各地で、絢爛豪華な花を咲かせています。「年年歳歳花相似たれども 歳歳年年人同じからず*注2」と申します。師の現身(うつしみ)はもはやこの世にありません。けれど人を思いやる慈しみの心は、すべての人々の心に等しく宿り、今この瞬間を生きています。合掌

*注1―在原業平・古今和歌集・伊勢物語
第八十二段
*注2―劉希夷・代悲白頭翁

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和尚随筆

2022.05/09
和尚随筆

「花園」令和四年四月号原稿 表題「悲しみを乗り越える」

表題「悲しみを乗り越える」
 台番3248 禪興寺 梅澤徹玄

 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心は
のどけからまし」
*注1(もし世の中に桜さえ無ければ、咲いた、散ったと心を悩ますこともなく のんびりとおおらかなこころもちで春を過ごせるものを)

東日本大震災から十一年目の春を迎えました。当時罹災最初の冬に、「仮設住宅では暖房設備が間に合わず、多くの被災者の方々が寒さを耐え忍んでいる」との報道を、福岡県八女茶の栽培農家の方々が目にしました。「せめて自分達の栽培したお茶を一服して、ほっと一息ついてもらいたい」と心から思ったそうです。それから七年間に亘り、無償で丹精籠めた煎茶を、復興支援物資として大量に送って下さいました。津波被害に遭われた沿岸部の方々に、妙心寺派の寺院を経由してお届けし、大変喜ばれました。ところが大震災翌年には、九州北部集中豪雨により、風光明媚な先祖伝来の八女茶畑が土砂崩れにより大変な被害を受けました。にも関わらず、その直後のお盆に届いた大量の煎茶の段ボール箱に思わず目を疑いました。その後、八女の被災地を現地で目の当たりにし、感謝に胸が熱くなりました。何という人々だ、と。
その後、せめてもの御礼にと、福島県三春の「滝桜」の実生(みしょう)の苗木を送らせて頂きました。天下に名高い、樹齢千年とも七百年とも伝わる生命力にあやかり、一刻も早い復興の象徴にしたいと、当時全国各地に送られていたのです。
実はこのご縁は、一昨年遷化された元妙心寺派管長猊下、久留米の梅林寺先住職雪香室東海大光老大師が発端となっています。師は長崎の原爆投下時、勤労動員で原爆直下に奇跡的に一命を得て、その後一週間程亡くなられた方々のご遺体を荷台に積んでは荼毘に付し弔われたとの逸話を持つ方です。その後修行を積み老師となられ、妙心寺派管長を歴任し、退任後も矍鑠とされておりました。師にこそ、東日本大震災被災地の私達に、ぜひ講演会でエールを送って頂きたい、と向かった先の九州で、八女と繋がったご縁でした。師は仙台での講演に先立ち、何十年か振りに自ら長崎の原爆爆心地を再訪し、宮城沿岸の津波被災地を訪ね、冥福を祈り、講演に臨まれました。「この世は諸行無常である。どんな災難もいつまでも続かない。必ず困難は乗り越えられる。明るい未来はやって来る!」と力強く喝破(かっぱ)されました。
後に師の後継者である梅林僧堂師家悠江軒東海大玄老大師より、梅林僧堂では震災後一年間の托鉢金を使わず、復興支援に託されたと伺いました。この師にして、この弟子あり。「おかげさま」の一言です。
大震災の年、宮城県の我が寺にも滝桜の実生を植えました。あれから十年。その後温暖化による気候変動の為か、毎年の様に全国・世界各地で激甚災害が続発しています。新たな被災者も後を絶ちません。けれどすっかり成長した滝桜の成木が日本各地で、絢爛豪華な花を咲かせています。「年年歳歳花相似たれども 歳歳年年人同じからず*注2」と申します。師の現身(うつしみ)はもはやこの世にありません。けれど人を思いやる慈しみの心は、すべての人々の心に等しく宿り、今この瞬間を生きています。合掌

*注1―在原業平・古今和歌集・伊勢物語
第八十二段
*注2―劉希夷・代悲白頭翁

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